陽光溢れる古都で、幻影を追う男の妄執を描く〜『シルビアのいる街で』

hito_revi2010-07-17

 今、恋は男がするもの……、という時代なのだろうか。『アンナと過ごした4日間』、そして『(500)日のサマー』と、不器用に、ひとりよがりに、男が女を想う映画が立て続けに話題を呼んできた。それらと同じように女の名前をタイトルに刻み、想いを凝縮させた3日間の出来事を描いた『シルビアのいる街で』でも、やはり主人公は妄執に憑かれている。そしてその妄執はさらに純度を高めている。この作品には「シルビア」は登場しないのだから。
 愛は想う対象に向けるものだけれど、対象がいなければ想いは拡散し、四方八方に充満する。不穏な空気を撒き散らしながら街を眺め彷徨う主人公を、その空気ごとカメラは冷淡に映し出す。事件らしい事件はただ一度起こるだけ。あとは通常ならば退屈な待機時間が続くばかりなのに、人の感情とはこんなにも複雑で謎めいているものだっただろうか。二重構造の覗き見の奇妙な臨場感を味わいながら、彼の妄想に同調してしまい、観終えた後もしばらくは熱に浮かされたような気分が続いた。監督はスペイン出身で本作が初の日本公開作となるホセ・ルイス・ゲリン。2008年の東京国際映画祭での上映に際して蓮實重彦氏が檄文をものしたことで話題を呼んだが、予想以上に斬新で素晴らしい作品だった。
 ストーリーはごくシンプル。6年前に出会った女性シルビアの面影を求めて、男が思い出の街を訪れ、ついに彼女を見つけた彼の追跡劇を描く、というものだ。地名ははっきりとは出てこないが、石畳の路を市電が走るフランスの古都ストラスブールで撮影されている。ホテルの部屋と、人々が行き交う路地という何のこともないショットを、まずカメラは執拗なほどの長さで撮り続け、旅行者である彼の非日常の感覚に観る者を誘い込む。

 彼はオープンテラスのカフェでノートを開いてスケッチを始める。彼の視線を捉えるのは女・女・女……。陽光降り注ぐ季節、無防備に肌を出してくつろぐ女性たちを、彼は不躾に眺めては鉛筆を走らせる。ドキュメンタリー風だが人々の動きはコントロールされており、錯覚のような映像のマジックにはっとさせられどおしでおもしろい。彼の目線からの定点観測なので人の陰に隠れて見えない姿もあるし、彼の主観で切り取られているので知らず知らず思い込みをさせられていることもある。手前の老女の姿が邪魔する美人を見るため彼が椅子をずらすのに苦笑したり、並んで座っているのでカップルだと思っていた男女が、互いに反対側に座る相手と話をし出すのに意表を突かれたり。
 人が見ることができる世界というのはなんて限られたものなんだろう、と漠然とした不安を覚えるとともに、彼の思惑とは何なのだろうといぶかしくも思う。……いや、多分彼は、本気でシルビアと再会しようとは最初から思っていないのだろう。彼女が住む街に自分も今いる、という甘美な想いに浸りたいだけ。“シルビィのいる街で”とノートの絵にタイトルを付け、美しい“彼女たち”をひたすら描く。ときにおずおずと声をかけたりしながら。ロマンティックなハンサムだけど、女たちを見る目線は獲物を狙うようでとても生々しい。
 だがガラス越しにひときわ美しい女性の姿を認めたとき、彼の表情にはそれまでになかった和らぎが生まれる。と思う間もなく彼女は店を出て歩き始め、彼の視線は今はもう彼女だけに向けられるようになり、後を追い始める。途中で尾行に気づいた彼女は相手を巻こうと路地を逃げ、男はときどき見失いながら必死で追いかける。男が決して悪人ではないとは分かっているけれど、街のざわめきと足音が響くこの追跡劇はとてもサスペンスフルで悪夢的。一緒にぐるぐると追い詰められていくようだ。

 けれど市電の中でようやく彼女に声をかけた彼を待ち受けていた結末は「人違い」。最低だ、と彼は繰り返しつぶやく。市電の窓から見る街はとても美しく、追われていた女にとっては開放感と安堵に満ちたひとときだろうけれど、白々した平和な明るさと、彼女の優しい気遣いが、彼をいたたまれなくさせる。
 こんなに美しい男と女が出会って、恋が生まれないなんて……。だが予定調和のドラマを期待する客などは置き去りにし、映画はさらに「第3夜」として傷心の彼の1日を映す。昨日彼女と別れた市電の駅で、また彼はノートを傍らに女たちを眺め続ける。今度は誰を想いながらなのだろうか……。男はますます無遠慮に女たちを観察し、そのただならぬ雰囲気はまわりの人にも伝わって、今度は彼自身も知らぬ間に見られる対象となっている。そんなふうに関わりとも言えないほどの些細な関わりを無数に交わしながら、人はそれぞれの人生を生きているのだ。光と闇、視線とノイズ、荘厳な街並み、揺れ動く想い……。計算と偶発とが生むハーモニーの不思議な余韻に酔いしれた。


映画「シルビアのいる街で
8月7日(土)より、渋谷シアター・イメージフォーラムにて公開後、全国順次公開

www.eiganokuni.com/sylvia